手打ち蕎麦 大吉庵

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麺のまめ知識

「庵」のつく屋号はなぜ多い?


江戸時代中期頃、江戸浅草芝崎町に浄土宗の一心極楽寺称往院という念仏道場があり、その院内に道光庵という支院がありました。この道光庵の主は信州の生まれだったので、そばが好きだっただけで無く、そば打ちも大変上手でした。そこで檀家の人々にそばをふるまって喜ばれていたところ、その評判が檀家以外にも広まり本職のそば店を押しのけて筆頭にあげられるほどになりました。このそば切り寺の人気にあやかろうと、屋号に庵をつけるのが流行したのです。

そば店の看板に書かれている「生そば」の意味

生そば(きそば)の本来の意味は、つなぎを加えずそば粉だけで打ったそば(生粉打ち)のことで「きそば」と読みます。江戸時代ではそばといえば、すべてこのきそばであり小麦粉を加えるようになったのは江戸時代中期以降です。それまでは、小麦粉をつなぎに加えるとより滑らかで、つるつるとした食感のそばが打てると知らなかったので、生粉打ちが当たり前で、わざわざ「生蕎麦」と断る必要はなく、単にそば、あるいはそば切りといえば良かったのです。

「大晦日になぜそばをたべるのか?」

年越しそばには、「歳取りそば」「大歳そば」「大晦日そば」などの別名があり、その起源は明かではありませんが、宝暦六年(1756年)刊『眉斧日録』八編にその記述があることから、江戸時代中期にはすでに歳末の習わしになっていたようです。由来には次のような諸説があります。

①「運そば」説
鎌倉時代、年末を越せない町人に「世直しそば」と称してそば餅をふるまったところ、その翌年から町人たちに運がむいてきたので、以来、大晦日に「運そば」を食べる習慣になったという。
②三稜(三角)説
室町時代、関東の三長者のひとりであった曽淵民部が、毎年の大晦日に無事息災を願って「世の中にめでたいものは蕎麦の種 花咲きみのりみかどおさまる」と歌い、家人ともどもそばがきを食べたのが始まり。
③「細く長く」の形状説そばは細く長くのびることから、家運を伸ばし、寿命を延ばし、身代を永続きさせたいと縁起をかついだもの。
④「切れやすい」形状説
そばは切れやすい、そこから一年の厄災や苦労をきれいさっぱり切り捨てようとする説
⑤そば効能説
そばによって体内を正常にして新年を迎えるという説。薬味のネギは、清めはらう神官の禰宜に通じる俗説
⑥捲土重来説
そばは一晩雨にさらされても、翌朝陽がさせばすぐに立ち直る、それにあやかって「来年こそは」の俗説
⑦金運説
金箔を打つとき、打ち粉にそば粉をつかうと金箔の裂け目を防げ、また金箔師は飛び散った金銀の粉を集める時にもそば粉を使う。そこから、そばは金をあつめるという縁起で食べるようになった。

| 麺の豆知識 | 09:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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